令和3年3月12日(金曜日)
午前6時40分 覚醒
アラーム「最終鬼畜一部声(歌唱:ビートまりお)」に叩き起こされ目覚める。参考:[高音質] 最終鬼畜一部声/ビートまりお(ガイ長) - YouTube
昨晩、ひぐらしのなく頃に業をリアタイ視聴(24時30分〜放送)した後の熱を帯びたままの目覚め。日課であるアプリゲーム(8個)のログインボーナス受取を済ませるとTwitterでひぐらし業の感想を漁り始める。止まらない。気が付いた時には7時50分だった。
午前7時53分 葛藤
朝起きたらうんこをするべきである。これは有史以来人類の歴史に刻み続けられた真理だ。前日までの淀みを吐き出し腹をクリアにすること無くして、今日を生きて行くことなどできようはずもない。今日を迎え入れる準備をするため、うんこをするべきなのだ。が、便意を感じない。ここでうんこをしなければ今日を迎え入れられない。キャパオーバーが生じてしまう。キャパオーバーつまり、死である。が、便意を感じないのだ。
こういう時、いつもの私ならば必ず便座に座ってみる。うんこが来ないのならば、私自ら同じ土俵に上がるのだ。それは奴に対する挑発行為だ。少々時間を要するが、挑発に乗った奴は必ず土俵入りしてくるのだ。それからさらに時間を確実にかけて奴と向き合う。互いの死力を尽くしてぶつかり合う。ここで力を尽くさなくては後から奴の追撃が襲うからだ。が、今日はひぐらし業の感想を漁っていたために時間が無い。なぜなら出社時間が迫っているからだ。
1.出社時間を遅らせてでも確実に対処する。
2.対処しきれなかった場合の追撃が怖いため、便意を感じない己の勘を信じ見送る。
私は葛藤を抱えた。葛藤:心の中に相反する動機・欲求・感情などが存在し、そのいずれをとるか迷うこと。(※デジタル大辞泉より抜粋)
3.一旦見送るが、出社後に仕掛けてくるようであれば会社で土俵入り。
私は第3の選択をして出社することにした。
午前8時21分 出社
奴が仕掛けてくる気配は無い。杞憂だったのだろうか。前日の晩飯が焼いたしいたけとみかんだけだったことも何か関係があるのかもしれない。
午前10時24分 談話
同僚と昼食の話になった。今日は何を食べるのかと聞かれた。普段は弁当を用意している私だが、今日は休憩中に外食に出ようと思っている旨を伝えた。近くの牛丼チェーンか、同じく近くのラーメン屋か、である。同僚は自分ならと考えを述べてくれた。私の中で昼の挙動が定まりつつあった。
午後1時26分 休憩
奴のことなどすっかりと忘れていた。自らに今日を迎え入れまくっていた。私は昼食に近くのラーメン屋へと赴くことにした。ここで食事をするのは3ヶ月ぶりだろうか。チャーシューメン(950円)に白ネギ(+100円)をトッピングし、唐揚げ定食(+300円)とした。肉厚のチャーシューは美味いが重い。そして熱々揚げたての唐揚げは美味いが熱い。本当に熱い。わかっているのに口の中をグズグズにさせられる。口蓋の薄皮が根こそぎ毟り取られてしまった。数日間ほど苦しむことになるのだろうが美味い唐揚げが食えたのだ、少々の苦しみは仕方無いだろう。
午後2時57分 膨張
腹が苦しい。やはりガッツリと食べてしまった弊害は如実に現れてしまうのだ。ふとした瞬間にゲップを堪える自分を認知することになる。だが、堪えた時には実はゲップは出ているものである。認知することが存在の証明となってしまうのである。つまり認知しなければ存在し得ないのだ。事象は認知されることで初めてその事象を確定するという特性を持ち、私がゲップを認知しなければゲップという事象を確定することができないのでゲップを認知しないようにする努力をしなければならないが、認知しないように努力するということが既にゲップを認知しているためにパラドックスが生じてしまう。苦しい。
午後4時23分 倦怠
リアルゴールドドラゴンブーストを摂取することこそがこの美しくも愚かな世界を生き抜く術なのだ。一日の仕事もラストスパートに差し掛かる時間。すべからく備えを以てこの時を凌ぐのだ。私が無垢ではいられる時はとうに過去の物となった。それを思い知らされる。
午後6時52分 到来
便意が来た。急に来た。まずい、仕事を中断できるような状況ではない。このまま2時間近く凌がなければならない。まずい。仕事中なのだ。まずいぞ。もう今日を迎え入れられない。時が止まったのだ。
午後7時03分 弛緩
一瞬身体の力が緩んでしまった。屁が出た。屁で済んだ。とは言え不本意だった。仕事中であったが気付かれていないはずだ。気付かないでくれ。不本意とは言ったがおかげで波は一旦退いた。助かった。
午後7時12分 再来
波はすぐに帰って来た。押し寄せる荒波にただ立ち尽くすしかない私を、運命は弄ぶ。波は退き、そして到来する。再来に次ぐ再来、後退に次ぐ後退、退いては返し、返してはまた退く、それは私の心を壊すのには充分だった。
午後7時59分 憤怒
そもそも昼食をあんなにガッツリ食ったのがダメなんだろ。やめとけよ。やめとけば良かっただろ。お前のその油断がお前自身を苦しめるんだよ。何が「美味い唐揚げが食えたなら少々の苦しみは仕方無い」だよ。んなわけねえだろバカじゃねえのか。
午後8時02分 諦観
あ、やばい無理。
午後8時03分 再起
いや堪えろ。大人だろ。大人だろ!!
午後8時15分 退社
車を飛ばす。飛ばすぞ車を。誰も私を止めることはできない。歩みを止めること、即、死、である。止まるんじゃねえぞ。
午後8時21分 悲観
私の身に降りかかる便意を思うと、たまらなく恐ろしいのです。己の意識の外で糞を垂れることが恐ろしいのではないのです。この強大な運命の力に屈服することが恐ろしいのです。今この瞬間に屈服するだけではない。それは未来永劫に続く屈服なのです。堂々たる私と永訣することとなるだろう。それが、恐ろしいのです。
午後8時24分 到着
駐車場にたどり着いた。しかしここにきて今回最大最悪の荒波が押し寄せる。終わりを意識することでフィナーレを飾る特大クレッシェンド。アッチェレランド。フェルマータ。強く、速く、そして長い。少しでも気を抜けば見えそうな決壊の二文字。駐車場から土俵までが恐ろしく長く感じる。
午後8時25分 膠着
歩みを進めるほど決壊のビジョンを垣間見る。しかし歩みを進めなければ土俵入りできない。奴はもう待っている。私は行かねばならないというのに、今すぐにでも場外乱闘が始まりそうな勢いだ。歩みを進め、時に立ち止まり、さらに立ち止まり、嗚咽を漏らしながら、決して糞は漏らさず、405号室へ向かう階段を一歩一歩、確実に進めて行く。しかし奴は確実に迫っている。九割九分九厘が糞である中、一厘の屁を放つことで辛うじて生命線を維持することができる。
午後8時27分 決壊
間一髪、土俵入りが間に合った。勝利したのだ。いや、勝利するのだ。心置きなく決壊できる。私という存在を、その矜持を、魂の燦きを、賛歌を、全霊でぶつけるのだ。ぶつけるのだ。痛い、痛い。痛いんだ。痛みは弱さ。しかし痛みは強さなんだ。痛みを知れ。そして涙を流すのだ。
午後9時43分 人生
豆腐を食べる。木綿の豆腐を焼こう。スライス。味をつけた卵液を纏わせて焼こう。塩こしょうを振りかけて焼こう。マヨネーズで焼こう。卵を纏った豆腐はそのまま食べよう。塩こしょうで焼いた豆腐はレモンを掛けて食べよう。マヨネーズで焼いた豆腐は醤油を掛けて食べよう。焼いた豆腐は美味い。それが人生だ。歴史は繰り返すかもしれない。それもまた、人生だ。