りきすいの郷(さと)

テキスト系の記事とか、ネタ系の記事とか書きます。

遠慮

車屋さんに行くことがあるだろうか。

・車の購入あるいは売却を検討している

・車の点検整備等をお願いする

・仕事上の取引に行くことがある

・気に入っているスタッフのストーカー

一般的に主な訪問理由として考えられるのはこれらではないだろうか。逆にこれらの理由を持たない人であれば、車屋さんははたから眺める程度で、漠然と自分とは縁遠い場所なのだと、どこか非現実的な神々しささえ感じていることと思う。

僕も、学生時代はまさか自分が車の運転をするなんて思ってもいなかったので、身内に車業界に携わる者がいなかったこともあり、車屋さんといえばまさに未知の施設だった。

そんな僕も28歳の年齢だけは立派な大人になり、自動車免許を取得して早10年。今では車屋さんに行くことがある。

 

23歳の時分、仕事で車の運転はしていたが、いわゆるマイカーを持ってはいなかった。欲しくないわけではなかったが、当時の金銭的事情や車の所有にかかる手続きのイメージが全くわからなかったこともあり、何よりマイカーの無い生活に不便を感じていなかったため取り急ぎ車を入手する必要性は薄かった。そんな折、職場の先輩A氏が

「知り合いの人が祖父の形見の車を今度手放すけど、誰かが乗ってくれるなら5万円で譲ってくれるらしい。いる?

と言うので、思いがけずマイカーのある生活がスタートした。

この車とは紆余曲折を経て26歳の時に手放すこととなったが、この頃にはマイカーのある生活とニコイチの間柄だったこともあり、車を買い替える決意をし自動車の販売店に勤める後輩氏に連絡を取った。それからだ、事あるごとに車屋さんに行くようになったのは。

 

売店で車を買うとそれ以降、事前に想像していた以上に車屋さんから何らかの連絡がある。例えばお店で何かイベントをするといった連絡であれば別に無視しても構わないが、車の点検に関する連絡を無視するわけにはいかない。車のある生活とニコイチである以上、整備不良による故障はつまり死を意味するので、点検に関する連絡を受けると、それから間も無くして車屋さんへ行く必要があるのだ。

車屋さんの接客からは同じ接客を生業にする者として多くの学びがある。彼らの接客には出迎えから見送りまで隙が無い。客の身としては手厚い接遇に嬉しく思う反面、どこか落ち着かない。「どうぞお構い無く」というのは車屋さんに行った時に使うための言葉なのではないかと思うほど彼らのもてなしを受けるのに申し訳なささえ感じる。その過剰とも言えるもてなしの最たるものがドリンクと菓子だ。例えば車の点検に行っただけなのに待っている間にココアとシュークリームを振る舞われたりする。点検と言えばちょっとしたものから大掛かりなものまで色々あるが、簡単な点検なら無料で行ってくれるのだ。そして僕はただ無料の点検をしてもらいに来ただけなのにお金も支払わずドリンクと菓子を出される。手間をお願いする分手土産の一つでも持参すべきなのはむしろこちらの方だというのに。僕は試されているのか?

「ここはカフェじゃねえぞ。呑気なもんだな」

そんなスタッフ達の心の声が聞こえてくるかのようだ。とても落ち着いて茶を喫することなどできない。どうしたらいいんですか?どうしたらいいんですかねえ!

 

そんな想いを後輩にぶつけた。曰く他に回すことはできないから食べてくれないと捨てることになるそうだ。それはダメだ。食べ物だけは粗末にできない。ならば食べなければならない。ドリンクや菓子を出さないでくれと頼むこともできるのかもしれないが、それはそれで図々しいような気もする。だから食べる。出された物はしっかり平らげるのだ。それが僕のやるべきことなのだ。

「ふん、卑しい野郎だ」

車屋さんはやはり落ち着かない。僕はまだまだ大人にはなれない。