りきすいの郷(さと)

テキスト系の記事とか、ネタ系の記事とか書きます。

鬼のパンツの背景

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こんにちは、りきすいです。

「さあ今から鬼に豆をぶつけてやろう!」という時って、だいたいこんな顔してません?

してませんか?

してますよね??

そうですか…。

 

 

 

さて、今日は2月3日、節分ですね。

 

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豆を撒いて鬼(邪気)を追い払い、福を呼び込もうというイベント。これさえ食べていれば痩せる!みたいなダイエット食品かよ。

甘ったれてんじゃねえ。豆撒くだけで福が来るなら誰も貧困や病に困ってねえっつーの!ダイエット食品さえ食べてれば痩せるんなら俺のBMI指数も26になんてなったりしないし、健康診断で3年連続で肥満と診断されることもねえっつーの!

そもそもなぜ豆を撒くと鬼が逃げるのかなんて理由もわからないし、考えるだけ無駄なようにも思う。ソースはどこなのよまったく。

しかし、こういう突拍子もないところは実に日本らしいとも言える。

 

この季節、全国のスーパー等では狂ったように節分ソングを流していますね。

 

 

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そんな節分ソングの中で、鬼のパンツという童謡があります。

節分の季節には豆を撒かれて追い払われる傍ら、普段は悪役として退治されたりと散々な目に遭っている鬼ですが、そんな鬼の穿いているパンツにクローズアップしている歌がこの鬼のパンツです。

 

そんな歌聴いたこと無いよ!って方は動画で聴いてもらえると、この後の展開を理解しやすいと思います。

いや、聴かないなんて選択肢は無い。聴け。

 

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何故に鬼のパンツをクローズアップ?という疑問はともかく、僕は先日スーパーにてこの歌をじっくりと聴きながら考察していました。

 

歌詞中に「トラの毛皮で できている」という箇所があるのですが、ここで2つの可能性に気付くわけです。

  1.鬼自身がトラを狩り、毛皮でパンツを作った。

  2.トラは狩れないけれど、何らかの方法でトラの毛皮を手に入れ、パンツを作った。(もしくはパンツそのものを手に入れた)

これです。

鬼のパンツは いいパンツ
つよいぞ つよいぞ

トラの毛皮で できている
つよいぞ つよいぞ

5年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ

10年はいても やぶれない
つよいぞ つよいぞ

はこう はこう 鬼のパンツ
はこう はこう 鬼のパンツ

あなたも あなたも あなたも あなたも
みんなではこう 鬼のパンツ

歌詞を読んでいただくと、まあまあ執拗につよいぞと強さを主張していることがわかります。

果たして自らトラを狩れるほどの強さを持つ鬼が、ここまで執拗に自らの強さをアピールするものなのでしょうか。

いいえ、そんなことはありません。弱い犬ほどよく吠えると言われるように、弱き者は自らの弱さを隠す為に口やかましく念を押す傾向にあります。

アピールに夢中で思考がお留守になったのか、5年はいてもやぶれないと言った直後に10年はいてもやぶれないと言い、なら最初から10年だけで良くない?5年のくだりいらなくない?というツッコミを入れられてしまう始末。

そこで、「実はさほど強くもない鬼がたまたま入手したトラの毛皮で作ったパンツを穿き、さもトラを狩れるかのように自らの強さを誇示している」というストーリーが見えてくるのです。まさに虎の威(衣)を借りているわけですね。

 

しかし、そうなってくると最後に「みんなではこう 鬼のパンツ」と布教活動に勤しむ姿に納得がいきません。

そんなクソダサいパンツ誰が穿くかよと思いますが、もしも万が一にもみんなが鬼のパンツを穿きだそうものなら、それまで地道に築き上げたアイデンティティを崩してしまいかねません。

もしかして調子に乗っちゃってる?

トラも狩れないくせに???

さすがにそこまで愚かではないと信じたいのですが…。

 

鬼の行動原理を理解できず、気が狂いそうになり友人に相談したところ、こんな答えが返ってきました。

テレビ通販なんじゃない?

 

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なるほど…ッ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さあ、今日も鬼ショッピングTVのお時間がやって参りました。

 

 

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本日の商品はこちら!

 

 

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私も愛用している鬼のパンツです!

これはとてもいいパンツなんですよ。

 

 

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つよいですよ〜。

なんとトラの毛皮で出来ているんです!

 

 

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つよいですよ〜。

 

 

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5年どころか、なんと10年はいてもやぶれないくらい丈夫なんです!

 

 

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つよいですよ〜!!

 

気になるお値段ですが、1111155鬼ドルになります。非常にリーズナブルですね!

お子様の多いご家庭にもオススメですよ、奥さん!

 

 

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この機会にご購入いただければ、なんともう1枚付いてきます!

これはお買い得ですね!

 

フリーダイヤル0120-02-0202-0202へ、お電話はお早めに!

 

 

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みんなではこう!鬼のパンツ!

 

 

 

次回は乾燥する季節の強い味方、鬼の目にも涙で潤う目薬をご紹介します。

では来週のこの時間に、またお会いしましょう!

知人がキリンを飼っているという話

日本国内の一般家庭で飼える最も大きな動物は何かをご存知だろうか。

答えはキリンである。

これは以前トリビアの泉という番組で得た知識だ。人気の番組だったので、当時の放送を見て知っている人も多いだろうと思う。

さて、「飼える」とは言ったものの実際にキリンを飼っている人なんていないでしょ!という声がかなり挙がってきているのではないかと思うが、果たしてそうであろうか?

今日はキリンを飼っている知人の話をしようと思う。

 

 

その人は現役時代はかなり優秀なサラリーマンだったそうで、定年時には退職金もたんまりもらったのだそうだ。

しかし大人しく隠居するつもりも無かったようで、何かやったことないことをしてみたいと思ったそうだ。

それが、キリンを飼うということだった。

理由を聞くと、飼ったことが無いからとのことだった。非常に簡潔な理由で好感が持てる。

思い立ったが吉日。すぐにそれまで大事に乗っていたセルシオを下取りに出してキリンを買うという荒業までやってのけたそうだ。すごい。

驚いたのは、キリンの購入にかかるお金から運搬費など、諸々の初期費用でおよそ200万円ほどかかったということだ。

そりゃまあ、サイズが大きいからなんとなくお金がかかるんだろうなとは思うけれど、まさかそんなにするとは思わないじゃないか。金を持ってる年寄りは狂ってるなと思った。

 

そうしてキリンが家にやって来たわけだが、当初猛反対していたご家族も、実際にキリンを見るとかなりテンションが上がったらしく、すごくはしゃいでいたらしい。そりゃそうだろ。

「はな」という名前を付けられ、一家とキリンの生活は始まった。

 

キリンは1日に6回くらい食事をするらしく、しかもめちゃめちゃ食べるそうで、エサ代はかなりしたらしい。具体的な数字で言うと約5万円が毎月支払われていたらしい。

めちゃめちゃ食べるので、糞の処理には相当苦労したようで、2週間くらいは頑張って土に埋めていたみたいだけど、どうにも重労働だし、人の便と違って無臭なので、次第に放置するようになったそうだ。

 

エサやりは楽しかったみたいだけど、一度、あんまりにも食いしん坊だったので躾として頭を叩いたら手を噛まれてバキバキに粉砕骨折したらしい。全治3ヶ月という重傷を負いながらも、医者には「これぐらいで済んで良かったね。手が無くなってたかもしれないよ」と言われたらしい。以降エサやりには細心の注意を払ったそうだ。キリン、マジでこえーな。

 

ところで、かなり目立つ動物が普通の民家の庭にいたので、知人は近所でちょっとした有名人だった。何度もテレビの取材依頼を受けたが全て断ったらしい。そもそもテレビが嫌いとのことだった。

けれど、近所の子どもたちからは大人気だったので、1人1000円でエサやりを体験させてあげることにしたのだけど、別にそこまではいいや。ゲーム買う方が良い。みたいに言われて全然流行らなかったらしい。時代を感じたそうだ。いや、金取るなよと思ったのは内緒である。

 

そんなこんなでキリンと楽しく過ごしていたのだけど、ある時から元気が無くなり、みるみる衰弱して、やがて亡くなってしまったのだそうだ。寿命だった。

亡くなるときは呆気ないもんだな思ったよ。なんて言っていたのが印象的だった。

「キリンだろうと、犬や猫だろうと、人間だろうと、いつかはお迎えが来て、天国へ行くんだなって。もの珍しさが先に来て、ついつい忘れがちになってたけど、命っていうのは等しく重たいものなんだと思ったよ。」と、知人は言っていた。

 

なんだかしんみりしてしまったけど、その知人は今度はスカイダイビングに挑戦したいと言っている。

理由を聞くと、やったことがないから。だそうだ。

 

 

 

という嘘を考えたのだけど、どう?

父さんの金玉

人は赤子としてこの世に生まれ落ちた時、すぐには言葉を喋ることができない。

成長していく過程で徐々に様々な言葉を覚え、単語を発することができるようになり、2語文、3語文と喋ることができるようになり、やがて流暢な文章を喋ることができるようになる頃にはもう赤子ではなくなっている。

そうして子どもはいつしか大人になっていく。

 

下ネタ。

これも人の成長過程と通ずるものを感じられないだろうか。

覚えたての頃は単語を発して喜んでいるが、保健の教科書を熟読していくうちに単語では満足できなくなり、2語文、3語文と喋ることができるようになり、やがて流暢な下ネタ文を喋ることができるようになる頃には晴れて大人の仲間入りというわけだ。

大人になってしまった今、不用意な単語で笑うことはできないだろう。前後の文脈を綺麗に繋ぎ、舞台背景を想像させながら、的確な言葉を選び抜いた文章を話すことで初めてウケる。

これが一般的な社会人の姿であり、お洒落というものだ。

だが三つ子の魂百までということわざにもあるように、大人になったって下ネタに分類される単語そのものは好きなのだ。むしろ大好きなのだ。

いくら大人になったって子どもの心を忘れてしまったわけではない。

私たちは忘れてはいけない。

あの輝かしい時代を。

 

 

 

小学生の時分、僕の住んでいたアパートには年の近い子どもたちが集まって遊ぶことが多かった。

その日もボール遊びなんかをしたりして、運動神経の人一倍劣っている僕は何も活躍することのないまま疲れて座り込んでしまっていた。

そのままみんなで座っておしゃべりをしていると、近所のおばさんが帰ってきたりしてきて、ジュースとお菓子をもらっていよいよおしゃべり大会へとステージが移行した。

運動ができないからと言って頭が良いわけでもなかった僕のべしゃりが冴え渡ることなどなかったが、その日はどうやら様子が違った。

 

前日、僕は父と風呂に入っていた。

親子での入浴であるが、男同士の裸の付き合いでもある。男としての闘争本能が僕の視線を父の股間へと向ける。

そこにあるのは僕の股間に付いているそれとは全く異質なものだった。

圧倒的な差。僕の携える子どもちんちんとは別次元に位置するそれを見て、僕の情操は滾り震えた。つまり、感動したのだ。

この感動を誰かと分かち合いたい!

共に涙を流し、共に笑おうぞ!!

 

 

俺の父さんの金玉、めちゃめちゃでかいよ!

気が付けば、僕はそう叫んでいた。前後の会話の流れの一切を無視し、僕は叫んだ。

一瞬の沈黙の後、場が爆笑に包まれた。

響き渡る歓声、僕を称える声が場を埋め尽くした。

気をよくした僕は、何度も父さんの金玉の大きさを叫び続けた。

誰よりも大きな声で。何度でも。何度でも。

アパート中に僕の声が響き渡った。

 

 

 

 

 

一部始終を家の中から聞いていた父は、僕をめちゃめちゃに叱った。

それはもう僕の頬を伝う雫が絶え間もなく伝い続けるくらいに叱り続けた。

3時間くらい正座させられ、はちゃめちゃに怒鳴られた。

 

以来、僕の金玉が大きくなることはなかった。