りきすいの郷(さと)

テキスト系の記事とか、ネタ系の記事とか書きます。

知人がキリンを飼っているという話

日本国内の一般家庭で飼える最も大きな動物は何かをご存知だろうか。

答えはキリンである。

これは以前トリビアの泉という番組で得た知識だ。人気の番組だったので、当時の放送を見て知っている人も多いだろうと思う。

さて、「飼える」とは言ったものの実際にキリンを飼っている人なんていないでしょ!という声がかなり挙がってきているのではないかと思うが、果たしてそうであろうか?

今日はキリンを飼っている知人の話をしようと思う。

 

 

その人は現役時代はかなり優秀なサラリーマンだったそうで、定年時には退職金もたんまりもらったのだそうだ。

しかし大人しく隠居するつもりも無かったようで、何かやったことないことをしてみたいと思ったそうだ。

それが、キリンを飼うということだった。

理由を聞くと、飼ったことが無いからとのことだった。非常に簡潔な理由で好感が持てる。

思い立ったが吉日。すぐにそれまで大事に乗っていたセルシオを下取りに出してキリンを買うという荒業までやってのけたそうだ。すごい。

驚いたのは、キリンの購入にかかるお金から運搬費など、諸々の初期費用でおよそ200万円ほどかかったということだ。

そりゃまあ、サイズが大きいからなんとなくお金がかかるんだろうなとは思うけれど、まさかそんなにするとは思わないじゃないか。金を持ってる年寄りは狂ってるなと思った。

 

そうしてキリンが家にやって来たわけだが、当初猛反対していたご家族も、実際にキリンを見るとかなりテンションが上がったらしく、すごくはしゃいでいたらしい。そりゃそうだろ。

「はな」という名前を付けられ、一家とキリンの生活は始まった。

 

キリンは1日に6回くらい食事をするらしく、しかもめちゃめちゃ食べるそうで、エサ代はかなりしたらしい。具体的な数字で言うと約5万円が毎月支払われていたらしい。

めちゃめちゃ食べるので、糞の処理には相当苦労したようで、2週間くらいは頑張って土に埋めていたみたいだけど、どうにも重労働だし、人の便と違って無臭なので、次第に放置するようになったそうだ。

 

エサやりは楽しかったみたいだけど、一度、あんまりにも食いしん坊だったので躾として頭を叩いたら手を噛まれてバキバキに粉砕骨折したらしい。全治3ヶ月という重傷を負いながらも、医者には「これぐらいで済んで良かったね。手が無くなってたかもしれないよ」と言われたらしい。以降エサやりには細心の注意を払ったそうだ。キリン、マジでこえーな。

 

ところで、かなり目立つ動物が普通の民家の庭にいたので、知人は近所でちょっとした有名人だった。何度もテレビの取材依頼を受けたが全て断ったらしい。そもそもテレビが嫌いとのことだった。

けれど、近所の子どもたちからは大人気だったので、1人1000円でエサやりを体験させてあげることにしたのだけど、別にそこまではいいや。ゲーム買う方が良い。みたいに言われて全然流行らなかったらしい。時代を感じたそうだ。いや、金取るなよと思ったのは内緒である。

 

そんなこんなでキリンと楽しく過ごしていたのだけど、ある時から元気が無くなり、みるみる衰弱して、やがて亡くなってしまったのだそうだ。寿命だった。

亡くなるときは呆気ないもんだな思ったよ。なんて言っていたのが印象的だった。

「キリンだろうと、犬や猫だろうと、人間だろうと、いつかはお迎えが来て、天国へ行くんだなって。もの珍しさが先に来て、ついつい忘れがちになってたけど、命っていうのは等しく重たいものなんだと思ったよ。」と、知人は言っていた。

 

なんだかしんみりしてしまったけど、その知人は今度はスカイダイビングに挑戦したいと言っている。

理由を聞くと、やったことがないから。だそうだ。

 

 

 

という嘘を考えたのだけど、どう?

父さんの金玉

人は赤子としてこの世に生まれ落ちた時、すぐには言葉を喋ることができない。

成長していく過程で徐々に様々な言葉を覚え、単語を発することができるようになり、2語文、3語文と喋ることができるようになり、やがて流暢な文章を喋ることができるようになる頃にはもう赤子ではなくなっている。

そうして子どもはいつしか大人になっていく。

 

下ネタ。

これも人の成長過程と通ずるものを感じられないだろうか。

覚えたての頃は単語を発して喜んでいるが、保健の教科書を熟読していくうちに単語では満足できなくなり、2語文、3語文と喋ることができるようになり、やがて流暢な下ネタ文を喋ることができるようになる頃には晴れて大人の仲間入りというわけだ。

大人になってしまった今、不用意な単語で笑うことはできないだろう。前後の文脈を綺麗に繋ぎ、舞台背景を想像させながら、的確な言葉を選び抜いた文章を話すことで初めてウケる。

これが一般的な社会人の姿であり、お洒落というものだ。

だが三つ子の魂百までということわざにもあるように、大人になったって下ネタに分類される単語そのものは好きなのだ。むしろ大好きなのだ。

いくら大人になったって子どもの心を忘れてしまったわけではない。

私たちは忘れてはいけない。

あの輝かしい時代を。

 

 

 

小学生の時分、僕の住んでいたアパートには年の近い子どもたちが集まって遊ぶことが多かった。

その日もボール遊びなんかをしたりして、運動神経の人一倍劣っている僕は何も活躍することのないまま疲れて座り込んでしまっていた。

そのままみんなで座っておしゃべりをしていると、近所のおばさんが帰ってきたりしてきて、ジュースとお菓子をもらっていよいよおしゃべり大会へとステージが移行した。

運動ができないからと言って頭が良いわけでもなかった僕のべしゃりが冴え渡ることなどなかったが、その日はどうやら様子が違った。

 

前日、僕は父と風呂に入っていた。

親子での入浴であるが、男同士の裸の付き合いでもある。男としての闘争本能が僕の視線を父の股間へと向ける。

そこにあるのは僕の股間に付いているそれとは全く異質なものだった。

圧倒的な差。僕の携える子どもちんちんとは別次元に位置するそれを見て、僕の情操は滾り震えた。つまり、感動したのだ。

この感動を誰かと分かち合いたい!

共に涙を流し、共に笑おうぞ!!

 

 

俺の父さんの金玉、めちゃめちゃでかいよ!

気が付けば、僕はそう叫んでいた。前後の会話の流れの一切を無視し、僕は叫んだ。

一瞬の沈黙の後、場が爆笑に包まれた。

響き渡る歓声、僕を称える声が場を埋め尽くした。

気をよくした僕は、何度も父さんの金玉の大きさを叫び続けた。

誰よりも大きな声で。何度でも。何度でも。

アパート中に僕の声が響き渡った。

 

 

 

 

 

一部始終を家の中から聞いていた父は、僕をめちゃめちゃに叱った。

それはもう僕の頬を伝う雫が絶え間もなく伝い続けるくらいに叱り続けた。

3時間くらい正座させられ、はちゃめちゃに怒鳴られた。

 

以来、僕の金玉が大きくなることはなかった。

忌々しき門番

今日も、"奴"がいる…。

 

 

 

俺は仕事柄、かなり多くのお客様のもとを定期的に訪問している。その数約400。

様々な客がいる。本当に様々な、な。

饒舌な客もいれば、寡黙な客もいる。

整った顔立ちの客もいれば、不細工な客もいる。

それぞれに対応の仕方を変える必要性を伴う場合もあるため、かなり精神力を要する。まったく不愉快な話だ。

 

あるお客様のもとには"門番"がいる。かなり手強い相手で、訪問した俺はいつも必ず手籠めにされている。

先日訪問した際にも、"奴"がいた。

 

扉を開け、お客様への挨拶を済まそうとする俺の耳に、奴の咆哮が響く。

チッ、畜生風情がよく吠えるものだ…。

その獣は尋常ではない速度で俺の元へ駆け寄ると、強者の余裕を称えるかの如くゆっくりと床に寝そべる。俺を相手にする為に構えるまでもないということだ。

耐え難い屈辱、奴が俺に与えるのはただそれだけ。いつか必ず一矢報いてやろうと機を伺っているのだが、俺は大人しく跪き、獣へと手を伸ばす。

そんな俺の手を、獣が舐める。

文字通り、舐める。

「毛並みを整えろ。命令だ。」

獣がそう言った。いや、実際には俺の錯覚なのだが、動物としての本能が脳を通して俺の身体を動かす。

俺は恐怖に震えながら獣の毛繕いをする。奴は恍惚の表情を浮かべ、それを眺める。たまに俺の手を舐め、再び満足げな顔をして俺を見下す。

弱肉強食の頂点に君臨するはずの人間である俺を、奴は見下している。

俺は震え続ける。自らに襲い掛かる恥辱に。その状況を覆すことすらできない己の絶対的な無力さに。

 

仕事を遂行できずに困惑する俺の姿を、奴は楽しんでいるのだ。

ひとしきり楽しんだのち、チワワと呼ばれる犬種であるところの奴は主人の元へと戻る。

俺は声を発することもできないまま、再び訪れるであろうそのお客様のもとを去る。

冬の風は残酷なまでに冷たく吹き付けている…。

 

 

 

 

 

 

 

 

2018年。戌年