りきすいの郷(さと)

テキスト系の記事とか、ネタ系の記事とか書きます。

麻痺

ジャンケン負けた奴に人権無えから!」   by りきすい (1993年〜      )

 

 

 

 

 

 

私は現在、知り合いが社長として経営している会社で事務員をさせていただいている。前職がめちゃくそに黒かったということもあり、今はとても楽しく仕事をさせていただいている。

それまでは瞬きをしている時間と同じ程度しか仕事をサボれなかったが、今では呼吸をするよりも長く仕事をサボり、残りの時間で事務所のWi-Fiを利用してネットサーフィンに興じている。素晴らしい会社に転職できたと思う。ざまあみろ。

しかし、前職の全てが嫌だったというわけではなく、仕事自体はキツかったが楽しかった。何より、同僚たちと話をするのが楽しかった。

 

 

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こんなナリから想像するのは難しいかもしれないが、これでも私はそれなりの規模の会社で営業マンをしていた。この写真は仕事中に鼻血が出たので急いでティッシュで塞いだ時のものだ。

いわゆる営業会社に勤めていたので、私自身はもちろん、周りの社員たちも営業マン。対人間という局面で表面的に愛想を振りまきながらコミュニケーションを取るという分野において、営業職ほど突出したスキルを持つ輩どもがゴロゴロいる職種を他に知らない。私のようにインターネットに巣喰いながら成功者たちへのジェラシーを燃やし、丸めた香ばしいティッシュを量産しながら世間を呪う陰気な人間とは対極の存在。それが営業マンである。今更ながらに思うが、よく4年弱も務められたものだ。

 

表面的に愛想を振りまくのは上手だとしても、内面を知ってしまえば結構キツい人たちもいたが、今そんなことを言ったところで本題とは何も関係が無いので、前職の仲間たちは漏れなくコミュ力が高く面白い人間たちで構成されていたという体で読み進めてほしい。こうして文字にしてみると、行事のあとにSNSに写真をアップし、このクラスまじ最高!世界一おもしろい奴が集まるクラス!みたいなことを言うイケイケのリア充の様になってしまっている気がするが、別にクラスに馴染めなかった学生時代の未練を晴らしているつもりなど微塵も無いので、まじで気にせず読み進めてほしい。まじで。

 

そんな素晴らしい同僚たちとの時間は本当に楽しく、中でも定例のジュースジャンケンは中毒になるほど楽しかった。比喩では無く本当に中毒だった私はあらゆる先輩や上司、果ては後輩や取引先にまでジャンケンを吹っかけるほどであり、そんな私が今まで問題沙汰にならずジャンケンを吹っかけ続けることができたのはその勝率の低さから来るものである。冒頭のセリフは負けすぎて勝者から普通に同情された際、自暴自棄になった私が放った捨てゼリフである。このセリフ以降、人権無しシリーズと呼ばれるルールが導入されることとなり、主に雨の日などに適用された。負けた人間には文字通り人権が無く、どれだけ雨が降ろうとどれだけ本数を買うことになろうと1人で自動販売機に人数分のジュースを買いに行かされることになる。そこに慈悲の精神などは無く、平たく言うとイジメに他ならない。勝率の低かった私がどれだけむごたらしいイジメを受けていたのか、想像に難くないだろう。

それでもジャン中(ジャンケン中毒)になってしまったのは、負けた時こそ惨めな気持ちであるが、勝った時の快感がそれを遥かに凌駕するからである。冷静に考えてみれば1本100円程度のジュースを得るために、タダで買うか1000円払うかという割りに合ってなさすぎる賭けだ。普通に買えよと。

しかし不思議なもので、私が滾るのは勝敗の見えない闘いに身を置くということに対してである。不安と期待が等しく重なる瞬間、私の心は高なるのである。人生はギャンブルだとはよく聞くが、ジャンケンもまた、ギャンブルなのである。つまりジャンケンとは人生なのだ。むしろ私の興奮は当然であるはずだ。そんな目で見るんじゃあない。

 

ある時、10人くらいでいつものようにジャンケンをしていた。私は順調に負け進み、最後の2人の対決となった。ここで負ければ10人分のジュース代が飛ぶ・・・が、勝てばタダでジュースが飲める!白か黒か!決着は2つに1つ!たまらねえ快感だぜ!

対するは同じ係で働く主任。私の父親と同じ歳である彼が言ったのは

 

「息子ぐらいの歳の子にそんな大金を出させられん。パーを出せ。わしがグーを出すけん」

 

という、漢気溢れるものだった。

イヤイヤイヤイヤ、そういうのは違うじゃん!勝敗が見えないから面白いのであってさあ!そんなお情けの八百長で勝ったってさあ!つまんないわーけ!周りのギャラリー達もそんな結末望んでないって!そんな自分が痛みを背負って部下を助けるみたいな美しい話求められてないんだって!わかる?そりゃあたまたま俺もふところが寂しいなあって思ってたところだしさあ、上司を立てるって意味では?まあナシじゃないかなって?せっかくそうやって言ってくれてるところを俺がさらにチョキなんか出して負けてあげたら主任の立場も無いし?ほら、失礼じゃん。周りで同僚たちも見てるわけだから。まさかそこまで見越していらっしゃるとは!さすがです主任!ここは俺が人肌脱いで立てちゃいますか!主任!!一生付いて行きます!主任!!!

 

 

 

そうしてチョキを出した主任に、私は負けた。

何が起こったのかわからないという具合だった私に主任が言った。

 

「これが勝負よ」

 

シビれた。これだからやめられない。

25歳になりました

恥ずかしながら、25年も生きてきて流しそうめんをしたことがない。

 

西日本豪雨災害から1ヶ月半、酷暑の夏も終わろうかという頃にこんな話をするのもなんだか申し訳なく、情けないような照れ臭いような複雑な感情なのだが、まさしく前述の次第。

 

夏の風物詩とも言える流しそうめん

しかし、私には勢いよく流れてくる白糸を掴めず悔しがる経験も、終点のバケツに溜まった水を捨てる経験も、無い。

そんな私と生まれたての赤子とでは一体何が違うというのだろうか。

 

そもそも私はそうめんが好きで、一人暮らしをしている今も季節を問わず年中そうめんを備蓄している。

余談であるが、茹で上がったそうめんを流水で洗う時には、かなり強めにそうめん同士をキュッキュッと擦り合わせて洗うのが良い。そうめんの表面に残ったぬめりをしっかりと落とすためだ。

本当に想像している以上に強く擦り合わせてしまえば良い。あの時みたいに。

そうめんの意外なたくましさに感動することだろう。そうめんの様なしなやかさと丈夫さを併せ持った人間になりたいものである。

 

さらに余談である。余談ばかりで申し訳ない。切なさを噛み締めながら読んで欲しい(顎を動かすと脳に良い)

そうめんは夏の食べ物というイメージが強いが、冬に食べるそうめんもまた格別である。茹で上がったそうめんを冷水でシメるとコシが生まれるのだが、夏の水道水はぬるいのでそうめんが十分に締まらないのである。

冬場になると水道水もその表情を変え、全てを凍て尽くす魔物へと変容する。そんな魔物を制御し使役することで、白く光り輝くそうめんにコシが生まれる。聖なる繊維、聖繊維である。

 

何を言っているのか私にもよくわかっていないが、この滾るそうめん愛は伝わったはずである。

ともかく、それほどの重い感情を持っているにもかかわらず、"流しそうめんをしたことが無い"というのはそうめんに対する侮辱や冒涜と差して相違なく、大変恥ずべき所業であるということは、聡明な皆様におかれましてはお察しのことと思う。

罪深き私に烙印を押したのは、やはりそうめんか。そうめんへの申し訳なさで昨年の私は死して償う覚悟すら決めたのだが、結果はご覧の通り。のうのうと生きている私の姿がここにあるのみである。

しかし、そんな私を許してくれたのもまた、そうめんである。もうそうめんに足を向けて寝られないな。

 

 

 

そんな私を見兼ねた友人が先日、私の誕生会を開いてくれた。

私は8月9日に満25歳を迎え、26年目のスタートを切ったのである。友人に祝われてスタートできるなんて、良い歳になりそうじゃないか。

 

そうして誕生会が行われた8月10日のことである。友人は私に流しそうめん機をプレゼントしてくれたのだ。さらには、その場で開けて組み立て、今日は流しそうめんパーティだよと言うのだ。

そう、流しそうめんデビュー。

齢25にして羽化──。

 

組み上がったものを見て、まずそのデカさに驚いた。平面ではなく、立体なのだ。

60cm程度の高さから、クルクルのウォータースライダーでそうめんが下り、辿り着いた槽の中ではモーターによって水流が起こり、そうめんがグルグル回るという仕組みだ。

80cm四方のテーブルの上に置かれたそれを見て、その場にいた全員が内心(邪魔だなあ…)と思っていたに違いない。

しかし革新的だったのは、スライダー上部のタンクと槽の間を水が循環するというもので、タンクの中に氷を入れておくことで冷たい水が流れ続けるというものだった。時代がもたらした技術の輝きを感じた。聞けば、そうめんそのものが循環するシステムを導入した流しそうめん機も存在しているらしい。日本の未来は明るいぞ、カティ。

水のあまりの冷たさにテンションが上がり、大きさは気にならなくなった。

 

そうして楽しい時を過ごした。流しそうめんで26年目のスタートを切れたことは、そうめんラヴァーである私の誇りである。これからは自信を持って生きることができるだろう。

 

ありがとう、そうめん。

そうめんよ、永遠に。

 

 

 

 

 

 

 

楽しいひと時が終わり、片付けをするにあたってわかったことがある。

流しそうめん機、洗うの超めんどくせ〜。

ブツを見た段階で洗うのに手間取ることを想定することなど、傘を開くより簡単なことだった。だけど、そんな現実を直視できるほど、僕たちは大人になんてなれやしない。

何がめんどくさいって、まずデカい。これがダメだ。

私は単身者用のマンションに住んでいる。住んだことのある人はよくわかるだろうが、ワンルームの部屋に付いている流し場の広さなどたかが知れている。なんたって、流しそうめん機の槽の方が流し場よりも広いのだ。これによって洗う時の水散りは平常時の64倍ほどに膨れ上がる(自社調べ)。256倍でないだけマシかとは思うが、これでもまだ人の罪ほど重くはない。恐ろしい話だ。

次に構成するパーツの数だ。その数なんと驚異の13個である。金曜日なら危うく死んでいたかもしれない。もっとも、流しそうめん機に殺されるのならそれも本望なのだが…。

私の人生における洗うのめんどくさいランキングで、2,3位を争うかもしれない。1位はぶっちぎりでたこ焼き器なのだが、めんどくささの種類が違うという点で言えば、たこ焼き器さえも上回るかもしれない。

凄まじいポテンシャルだぞ、流しそうめん機…。

 

みんな、流しそうめん機は洗いやすさで選ぼう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-Result-

「そうめん」: 200pt × 36 = 7200pt

「たこ焼き」: 1500pt × 2 = 3000pt

「聖繊維」:  10000pt × 1 =10000pt

 

20200pt      RANK「

大雨災害

こんばんは。りきすいです。

俺は広島県呉市というところに住んでいるのだけれど、今回の西日本を襲った大雨による災害を被ってしまった。

大雨の影響により各地で洪水や土砂崩れの発生、そこから送水管の断裂による断水や停電が広島県の各地で起こっている。

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各地の土砂崩れによって通行止めとなっている道も多く、呉市陸の孤島と化した等と揶揄される始末である。

俺の住んでいる地区も断水したけれど、幸い電気は通っているためまだマシな方なのだろう。ただ、場所によっては断水&停電のダブルパンチを食らっている方々も少なくはなく、友人も数名ほど町や地区単位で土砂災害に挟まれており、物資の確保もままならない中、脱出すらできない状況が続いている。俺の状況と比べるとその不安の度合いは計り知れない。

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7年前の東日本大震災をはじめとして「災害」というものをニュースなどで見たとき、正直どこか遠い世界の話だと感じていたのも事実である。しかし見知った道が崩落したり見知った町が溢れる水や土砂に飲まれる光景を見てしまった今となっては、被災者の方々が途方もない絶望に襲われていたのだということは、想像に難くない。

 

今日は、川尻という地域に閉じ込められている友人の元へ救援物資を届けに行ったが、閉じ込められている地域の友人すべてに助けの手を出すことができるわけではない。それがたまらなく悔しい。

俺は動ける。少ないながらも自分以外の人に分けられる物資もある。にもかかわらず、行くことすら叶わない地域の応援はできないのだ。ぬくぬくとした場所からただ無事を祈るだけ。この無力感は耐え難い。

 

物資の備蓄がある間は良い。けれど、備蓄が底を尽き始めた頃が勝負だ。そんな中で自分だけではなく、周りの人間を守ることができるか、正直自信はない。けれど、自分の目に映る世界だけでも、守るために動ける人間でありたい。

 

広島県以外にも甚大な被害を受けている方々は多い。どうしようもない状況に置かれ、成す術も無く途方に暮れていることと思う。

けれど、それでもどうか生きるのを諦めないでくれ。闘おう。