りきすいの郷(さと)

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あの頃の気持ちに戻って

俺の三半規管は小学校を卒業する頃まで激弱だったので、修学旅行で初めて乗った新幹線にすらも乗り物酔いをカマす始末だった。当然、社会科見学などでたまーに乗る電車にも、取り立てて前向きな気持ちになることはできなかった。

とは言え、電車の窓から目まぐるしく移り変わる景色を眺めるのは好きだった。知らない町並み、知らない工業団地、知らない家、知らない海、知らない山。なんだか他人の生活の一部を盗み見ているようで、ほんのり罪悪感を感じながらもそれをやめられなかった。そうして目を回していては世話ないのだけれど。

 

中学に上がった頃から、乗り物酔いはあまりしなくなった。高校に上がり、いつしか大人になり、乗り物酔いは完全に克服したと言って良い。それほど俺は、窓からの景色を眺めなくなっていた。

俺の私生活上決して多くない電車に揺られる時間を、俺はスマホの操作や仮眠に費やしたりしているからだ。別に悪いことではない。そもそも大人になった今、知らない景色への興味は子どもの頃と比べて薄くなっている。

しかしそれ以上に、俺は周りの目を気にするようになってしまったように思う。興味が薄れたと言っても無くなってしまったわけではない。だが、良い歳こいた成人男性が窓からの景色に呆けていることを、その無防備な表情を晒すことを、少しばかり恥ずかしいと感じるようになっているのだ。

 

でも、それで良いのか?

物やサービスが溢れ生活が豊かになった反面、心が貧しくなったなどと言われる今の時代、俺も例に漏れてはいないのだろう。だが、時代の変化に合わせて心身共にスタイルを変えていく心意気も大事なのだ。けれど、変わらないものだってあるはずだ。

今だからこそ思う。子どもの頃のように、他の目など気にせず無邪気に振る舞うことができたら。あの頃の気持ちを、もっと大事にするべきだったんじゃないか、と。

だから俺は、電車に乗った時にはしっかりと景色を眺めたいと思うんだ。どれだけ他の人から変な目で見られても。そして民家のベランダに干してある女物の下着を見つけたり、道行くエロいお姉ちゃんを見つけたり、したいと思うんだ。