りきすいの郷(さと)

テキスト系の記事とか、ネタ系の記事とか書きます。

「大人になる」ということ

私は現在、25歳である。

あなたは大人ですよと正式に世間から認められて早5年。社会人としても順調に経験を積んでおり、そろそろ中堅への扉を3回ノックするビジョンも見えてきた頃合いである。ちなみに扉を2回しかノックしないのは便所ノックと言って、トイレの空室を確認するためのノックだから失礼に当たるらしく、さらに言えば3回ノックも略式であるため、4回ノックをするのが最も礼儀正しいのだとか。そんなことは賞味期限を2週間過ぎた物を食べたのにまったくお腹を壊さなかった話を聞かされたかのようにどうでもいいことであるが、このようなウンチクをのたまうことができるようになるくらいには社会経験を積んだということだ。

しかし、そんな私にも悩みがある。

 

「私は、大人になれているのだろうか──?」

 

20歳を超え、世間では大人として扱っていただいている。言葉遣いだってもう子どもの頃のそれではないし、知らない人からの電話への対応もそつなくこなせる。取引先様とお話をさせていただく時、社内の気に入らない上司を自然に呼び捨てにすることもできるようになった。しかしその実、私の本質は下品な言葉遣いを好み、知らない人とは電話なんてしたくない。取引先でなくても気に入らない上司は裏で呼び捨てにするような人間であり、とても大人のそれと呼べるような代物ではない。私が普段せっせとおこなっているそれは、所詮"大人の真似事"に過ぎないんじゃないか?と、次第にそんなことを考えるようになった。

 

ここまでが導入となるわけだが、すでに貴方はどうでもいいなという感情に呑まれつつあるのではありませんか?

そう、それこそがメンタリズムです。

 

 

さて、一度気になり始めると深みにはまってしまうのが人情というもので、私は悩むあまり仕事もろくにこなすことができなくなり、海を割り、大地を裂く日々が続いていた。やがて真昼の星空が音を立てて崩れ始めたある日、勤め先の社長が私の前で電話をしていた。何気無い仕事の会話であったようだが、その中での社長の発言を聞いたことで、私の身体に稲妻が走るような衝撃を受けたのである。

 

「いえいえ、とんでもないです」

 

とんでもない。

 

 

 

 

 

 

とんでもない!!

 

 

 

 

 

 

形容詞としてでなく、相槌としてこの言葉を使いこなせるか?と問われた時、貴方はYESと答えることができるだろうか。少なくとも私は、絶対にこれを使いこなすことはできない。

25年も生きてきたが、私はこの相槌を使ったことは無いのだ。当然使いこなせるわけがない。私は気付いた。大人になるってことは、こういうことなんだ──!

そうと決まれば目標は一つ。"とんでもない"を使いこなせるようになること。これこそが大人になる必須条件であり、この目標を達成した時、遂に私は大人になれるのだ。

いつか私は"裏"成人式の舞台に立ち、ごっこ遊びに終止符を打った暁には、この社会の真理を解き明かす旅に出よう。

 

その時までどうか、応援、してほしい。