りきすいの郷(さと)

テキスト系の記事とか、ネタ系の記事とか書きます。

25歳になりました

恥ずかしながら、25年も生きてきて流しそうめんをしたことがない。

 

西日本豪雨災害から1ヶ月半、酷暑の夏も終わろうかという頃にこんな話をするのもなんだか申し訳なく、情けないような照れ臭いような複雑な感情なのだが、まさしく前述の次第。

 

夏の風物詩とも言える流しそうめん

しかし、私には勢いよく流れてくる白糸を掴めず悔しがる経験も、終点のバケツに溜まった水を捨てる経験も、無い。

そんな私と生まれたての赤子とでは一体何が違うというのだろうか。

 

そもそも私はそうめんが好きで、一人暮らしをしている今も季節を問わず年中そうめんを備蓄している。

余談であるが、茹で上がったそうめんを流水で洗う時には、かなり強めにそうめん同士をキュッキュッと擦り合わせて洗うのが良い。そうめんの表面に残ったぬめりをしっかりと落とすためだ。

本当に想像している以上に強く擦り合わせてしまえば良い。あの時みたいに。

そうめんの意外なたくましさに感動することだろう。そうめんの様なしなやかさと丈夫さを併せ持った人間になりたいものである。

 

さらに余談である。余談ばかりで申し訳ない。切なさを噛み締めながら読んで欲しい(顎を動かすと脳に良い)

そうめんは夏の食べ物というイメージが強いが、冬に食べるそうめんもまた格別である。茹で上がったそうめんを冷水でシメるとコシが生まれるのだが、夏の水道水はぬるいのでそうめんが十分に締まらないのである。

冬場になると水道水もその表情を変え、全てを凍て尽くす魔物へと変容する。そんな魔物を制御し使役することで、白く光り輝くそうめんにコシが生まれる。聖なる繊維、聖繊維である。

 

何を言っているのか私にもよくわかっていないが、この滾るそうめん愛は伝わったはずである。

ともかく、それほどの重い感情を持っているにもかかわらず、"流しそうめんをしたことが無い"というのはそうめんに対する侮辱や冒涜と差して相違なく、大変恥ずべき所業であるということは、聡明な皆様におかれましてはお察しのことと思う。

罪深き私に烙印を押したのは、やはりそうめんか。そうめんへの申し訳なさで昨年の私は死して償う覚悟すら決めたのだが、結果はご覧の通り。のうのうと生きている私の姿がここにあるのみである。

しかし、そんな私を許してくれたのもまた、そうめんである。もうそうめんに足を向けて寝られないな。

 

 

 

そんな私を見兼ねた友人が先日、私の誕生会を開いてくれた。

私は8月9日に満25歳を迎え、26年目のスタートを切ったのである。友人に祝われてスタートできるなんて、良い歳になりそうじゃないか。

 

そうして誕生会が行われた8月10日のことである。友人は私に流しそうめん機をプレゼントしてくれたのだ。さらには、その場で開けて組み立て、今日は流しそうめんパーティだよと言うのだ。

そう、流しそうめんデビュー。

齢25にして羽化──。

 

組み上がったものを見て、まずそのデカさに驚いた。平面ではなく、立体なのだ。

60cm程度の高さから、クルクルのウォータースライダーでそうめんが下り、辿り着いた槽の中ではモーターによって水流が起こり、そうめんがグルグル回るという仕組みだ。

80cm四方のテーブルの上に置かれたそれを見て、その場にいた全員が内心(邪魔だなあ…)と思っていたに違いない。

しかし革新的だったのは、スライダー上部のタンクと槽の間を水が循環するというもので、タンクの中に氷を入れておくことで冷たい水が流れ続けるというものだった。時代がもたらした技術の輝きを感じた。聞けば、そうめんそのものが循環するシステムを導入した流しそうめん機も存在しているらしい。日本の未来は明るいぞ、カティ。

水のあまりの冷たさにテンションが上がり、大きさは気にならなくなった。

 

そうして楽しい時を過ごした。流しそうめんで26年目のスタートを切れたことは、そうめんラヴァーである私の誇りである。これからは自信を持って生きることができるだろう。

 

ありがとう、そうめん。

そうめんよ、永遠に。

 

 

 

 

 

 

 

楽しいひと時が終わり、片付けをするにあたってわかったことがある。

流しそうめん機、洗うの超めんどくせ〜。

ブツを見た段階で洗うのに手間取ることを想定することなど、傘を開くより簡単なことだった。だけど、そんな現実を直視できるほど、僕たちは大人になんてなれやしない。

何がめんどくさいって、まずデカい。これがダメだ。

私は単身者用のマンションに住んでいる。住んだことのある人はよくわかるだろうが、ワンルームの部屋に付いている流し場の広さなどたかが知れている。なんたって、流しそうめん機の槽の方が流し場よりも広いのだ。これによって洗う時の水散りは平常時の64倍ほどに膨れ上がる(自社調べ)。256倍でないだけマシかとは思うが、これでもまだ人の罪ほど重くはない。恐ろしい話だ。

次に構成するパーツの数だ。その数なんと驚異の13個である。金曜日なら危うく死んでいたかもしれない。もっとも、流しそうめん機に殺されるのならそれも本望なのだが…。

私の人生における洗うのめんどくさいランキングで、2,3位を争うかもしれない。1位はぶっちぎりでたこ焼き器なのだが、めんどくささの種類が違うという点で言えば、たこ焼き器さえも上回るかもしれない。

凄まじいポテンシャルだぞ、流しそうめん機…。

 

みんな、流しそうめん機は洗いやすさで選ぼう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

-Result-

「そうめん」: 200pt × 36 = 7200pt

「たこ焼き」: 1500pt × 2 = 3000pt

「聖繊維」:  10000pt × 1 =10000pt

 

20200pt      RANK「