人は、自分の発するにおいに鈍感なものだ。
若くからタバコを大量に吸い続けてきたおっさんの口は信じられないほど臭いが、奴らがそれに気付くことはない。
かく言う私も、高校時代は日々の歯磨きを雑に済ませており、晩飯にニンニクたっぷりのメニューを平らげて翌日学校へ行くと友人から
「お前の口臭には常識がない」
なんて言われ、かなり落ち込んだものだ。
以来、私は歯磨きのたびに大量の出血を伴うようになるのだが、それはまた別の話。
なにも口臭に限った話ではない。
どんなに良い香りの香水でも、過剰に振り撒いてしまえば他人からはにおいがキツい、つまり臭いと言われてしまうし、そもそも人は、歳を取ると加齢臭と呼ばれる臭気を発するようになると言われている。
これによって年頃の娘を持つ世のパパ達の家庭内カーストはかなり低くなっている。
しかし、どんなにパパ達が意識してみたところで自分の加齢臭に気付くことができないので、パパ達は家にお金を入れ続けることでしか身分を確立できないのだ。悲しいけどこれって、事実なのよね。
ともかく、人というのは自分のにおいを客観的に分析することができない。これは完全に人間というシステムの欠陥に他ならないのだが、互いに忖度することで無意味に傷付け合うことを避けることができるのも、自分のことにはなかなか気付かないという欠陥を補う上で発展してきた人類のスキルなのだろう。
そこで唐突にタイトルを回収するのだが、もし貴方が
「お前、そら豆みてえなにおいがするな」
と言われると、どうだろうか。
どうだろうかも何も、「え、そら豆…?」ってなるに違いない。
なぜなら、人間がそら豆のにおいを発することなど有り得ないからだ。
たとえそら豆農家であったとしても、農家自身がそら豆のにおいを発するわけがない。いや、発していいわけがない。それは人間の尊厳を踏みにじる行為に他ならない。そら豆のにおいを発するのは他ならぬそら豆だけであって、人間ではないからだ。
もしも私がそら豆のにおいを発しているのだとしたら、この身を父なる大地に還したい。だって私は、そら豆なのだから。
そう、私が今日出会った老爺からそら豆のにおいがしたのも、そもそもあれは老爺ではなく、巨大なそら豆だったのだ。
でなければ納得がいかない。納得がいかないんだ。
そら豆はそら豆らしく塩茹でにでもされていれば良い。そして鮮やかな緑色へと美しく変化してくれ。
ここでもう一度問う。
「お前、そら豆みてえなにおいがするな」
そう言われた時、貴方はどう生きる?