「死にたい」
そのようなことを言うと、周りからはいつも決まって、
「生きろ」
というようなことが返ってくる。
いつから俺の周りにはアシタカが群雄割拠するようになったのか。そう錯覚するくらい皆口を揃えて同じようなことばかり言ってくる。
たしかにアシタカはイケメンだし、苦しい状況を経験しているからこそ、生きるということの美しさや気高さといったものを、俺などとは違う視点から高度な次元で捉えることができるのだろう。
アシタカ、すげえなあ・・・。
勿論、アシタカだって最初からこうだったわけではないだろう。
幼少の頃にはアサガオの種の薄皮を剥いて取り出すあの快感を朝から晩までひとしきり楽しみ、翌日にはさらなる快感を求めてヒマワリの種を探し求める、そんな時分を過ごしていたかもしれない。
俺だって、昔はもっと活力に溢れたキラキラした子どもだった気がする。
小4の頃、いつか訪れるだろう死に怯えて涙を流して恐怖したこともある。
そんな、普通の子どもだったはずなんだ。
それが一体、どうしてこうなってしまったのだろう。
俺の周りのアシタカ達は答えをくれない。
彼らもその答えを知らないのだ。
ただ、自分の周りで自分の知った人間が死んでしまうという事が嫌なのだ。
残酷だよね。結局、誰も自分ではない人の視点に立つことなんてできないんだ。
その点で言えば、アシタカも結局凡人に過ぎない。
アシタカでさえ、神になることはできない。
「ただ、今ここに生きているという事実が苦痛だ」
自分は一体何から逃れたいのか。
何を苦痛としているのか。
そこまで掘り下げた原因もわからない。
自分が掘り下げることすらしていない怠け者なのかもしれない。
他でも無い自分自身の感情の変化に、まったく追いつくことができない。
さっきまで死にたいと思っていたのに、気が付けば急に明るく元気になる。死にたいなどと思っていた自分の思考が理解できなくなる。
かと思えば、2日程度明けた朝には再び死にたいという思考に支配されている。今度は明るく振る舞うことができていた思考を思い出せなくなる。
自分が自分のものでは無い。
そんな錯覚に陥る。
どうせ自分のものではないなら、アシタカになりてえ・・・。