りきすいの郷(さと)

テキスト系の記事とか、ネタ系の記事とか書きます。

トラウマ

小学生の時分。

たしか、2年生だったように思う。

その日は母親と夕食の買い物に出かけていた。

 

 

 

学校という閉鎖的な空間で勉学という洗脳を受け、帰宅した私は家でひたすらテレビゲームをしていた。

狂ったようにゲームをしていた。

当時、2001年という時代にファミリーコンピュータスーパーマリオブラザーズをプレイし続けていた。

しかし、どうしてもW4-2でゲームオーバーになってしまう。

W1-2で隠しルートからW4-1までショートカットするのに、だ。

ゲームオーバーになっては再びW1-1から始まり、そしてショートカットしたW4-2でいつもゲームオーバーになってしまう。

いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも・・・

私というハードが"学習する"というシステムを失ったのはこの時なのかもしれない。

真に閉鎖的な空間とは、自宅、なのかもしれない。

 

 

 

そうそう、夕食の買い物だった。

母親が仕事から帰宅し、買い物に出かけると言うのだ。

未だW4-3へと足を踏み入れることすら許されない私は、立ち上がる。

買い物について行ったからと言って、特に報酬を得られるわけではない。

意思を持たずただついて行く、それが私の魂に刷り込まれたプログラムなのだ。

私は、傀儡だ。

他所の家庭がどうであるかなど、興味はあっても関係はない。それが、私の生きてきた家庭-セカイ-におけるところの定理-ルール-であるからだ。

 

 

 

そうして私たちは近所のスーパーにやってきた。

家から徒歩1分、という驚異の近所のスーパーだ。

私はスーパーに出かけると必ず一人でお菓子コーナーへと向かうのだが、前にも述べたように報酬など得られないので、色とりどりのお菓子を見ながら妄想の世界へと思いを馳せていた。

私の、ささやかな楽しみの一つだった。

 

 

 

すぐに母親に見つかってしまい現実へと引き戻された私は、惣菜コーナーに立っていた。

今晩のおかずで食べたいものを選びなさい。それが母親に与えられたミッションだった。

そのミッションは困難を極めた。

なぜなら、決まって選んでいたサクサクチキン(プレーン)がその日に限って売り切れていたからだ。

どうしてサクチキが無いのか。

意思の無い私が、生まれて初めて怒りを感じていた。

行き場のない怒りが私の精神を支配していた。

 

 

 

怒りはすぐに止んだ。

目の前に串カツが現れたからだ。

このカツの中身はなんだと尋ねると、母親は豚の肉であると答えた。

なるほど、豚の肉か。

小さめの串カツが6本ほど入っているパックを母親に渡した。

今夜のおかずは、これだ———!

 

 

 

帰宅した私たちは戦利品を掲げ、宴の支度を始めた。

今宵の宴は派手に執り行われるだろう。

確信めいたものが、私の中にはあった。

 

ーーーいただきます。

 

宴は始まった。

私の初手は勿論、串カツである。

私が選んだおかずを、私自身の手によって胃袋へと収める。

それは至福である。はずだった。

串カツと呼ばれた"それ"は、私の精神にトラウマを植え付けるには十分なシロモノだった。

どうして私の頬には涙が伝っているのか。

串カツの味が私を感激させたのでは、断じて無い。

理由はすぐにわかった。

豚の肉だと思われていた串カツの中身が、ゴボウだったからだ。

何かの間違いだと思った。

だが、すぐさま2本目へと手を伸ばした私の希望を打ち砕いたのは、やはりゴボウだった。

6本全て、ひとつ残らずゴボウカツだった。

幼い私の心に、激しい怒りと悲しみの渦というどす黒い感情が芽生えた瞬間である。

 

 

 

なぜこんなことになってしまったのだろうか。

現代ではSNS炎上の事案にもなりかねない出来事である。

もしもこれを誰かが悪戯としてやったのならば、その犯人は相応の報いを受けるべきである。

私が犯人と対面したのならば、本人はともかく、その家族や恋人、些細な交流を持った関係者すべて、このどす黒い感情のままに全ての食事をゴボウに変えてやろうと思う。

朝昼晩、全ての食事を。

ゴボウのみを食べ、いつしかゴボウを心から愛する身体へと変貌させた果てに、愛するゴボウで殴り殺してやろうと思う。

それは2017年、24歳を来月の9日に控えた今も、変わらない。