私は、常々この世界はつまらないものだと感じている。
どのような思想を持っていようとも、私たちは集合体の中の"個"でしかないのだ。
この集合体から飛び出そうものなら、集合体の意思によりたちまち抑え込まれてしまうだろう。
出る杭は打たれる、というやつだ。
ならば私は打たれぬ杭となり、世界に光を灯そう。
革命だ。
なぜ自由な思想は批判されなければならないのか。
なぜかつおのタタキを食べてはいけないのか。
かつおのタタキを食することのできない文明など滅んでしまえば良いのだ。
私を否定するものは誰であろうと容赦はしない。
親兄弟だろうと、たとえ恋人だろうと、私の行く手を阻むというのであれば、生きる道を違えることとなるだろう。
たとえ孤独の道を貫くこととなったとしても、私はかつおのタタキを愛することをやめることなどできぬ。
たしかに、かつおのタタキを食べるとうずまきを正しく書けない身体になってしまうのは小学生でも知っている常識だろう。
それだけではない。
かつおのタタキを服用することで一時的な快楽を得ることができたとしても、その身体は徐々に、しかし確実に崩壊へと誘われるだろう。
このグラフを見ていただければわかるが、驚くべきことにかつおのタタキの服用者は300年後には誰一人として生存していない。
残念なことだが、それは確かなデータとして存在しているのだ。
だが、かつおのタタキの与えてくれる快感は、それら全ての欠点を補って余りあるほど甘美なのだ。
人は何のために生まれ、生きていかなくてはならないのか。
その答えは、かつおのタタキを食べることに他ならない。
子曰く、一を以て鰹を貫く
この言葉にもあるように、かの孔子もかつおのタタキを愛したと言う。
言葉の意味は私にもわからない。
だが、かつおのタタキを愛する真の心は過去も現在も、そして未来も変わらないものなのだろう。
たとえ私の肉体が志半ばで滅びたとしても、私の精神は次の世代へと受け継がれ、いつか必ず成し遂げてくれるだろう。
かつおのタタキを食することを、誇りとする世界。
それこそが私の唯一の望み。