りきすいの郷(さと)

テキスト系の記事とか、ネタ系の記事とか書きます。

氷解

仕事中、じいさんがキャンディをくれた。

 

 

 

f:id:go-went-gone:20180227112249j:image

これこれ!これが美味しいんですよ〜」なんて、まるで食通みたいな口ぶりで寄越してきたわけなんだけど、それにしたってあずきみるくって何?

絶対に大玉の巨峰キャンディの方が当たりだし、あずきみるくの手切れ金としか思えない。

 

そもそも、このじいさんとは"時々会う顔見知り"程度の間柄で、ほとんど言葉を交わしたことも無い。

 

よくよく洞察すると、いくらかあるキャンディの中から厳選して寄越してきたように見えたのだけれど、絶対その中にあったアップルキャンディとかの方が美味しい。

やりやがったな、じじい。

 

 

 

f:id:go-went-gone:20180227130546j:image

よく見ると包装袋もクシャクシャになってるし、一体いつ頃入手したものなのだろう。こうなってくるとじいさん本人が購入したものかどうかも疑わしい。

 

明らかに疑心暗鬼に駆られている気がするのは、きっと仕事で疲れているからだ。

いわゆる営業会社に勤め、多くの人と接する機会があるため、さまざまなタイプの人を見てきた。そんな中でいつしか自分を偽る術を覚え、他人に欺かれたりすることも数多と経験し、人を信じることを恐れてしまっていたのだ。

きっとこのじいさんも心根では自らを偽り、俺を欺き、体良くあずきみるくキャンディを手放すことができてさぞ喜んでいることだろう。

俺はそんな人々の悪意にさらされるのはもううんざりなんだ。頼む、もう、俺を巻き込まないでくれ…!

 

 

 

そんなことを考えながら放り込んだあずきみるくキャンディは、それはそれは美味かった。

 

じいさん、すまねえ…。

 

俺の頬を熱いものが伝った。

飛蚊症と共に生きる

高校3年生の頃、今となっては完全に大きな間違いであったような気がしてならないが、僕は進学の道を拒み就職するべく、毎日のように教師たちと面接の特訓に明け暮れていた。

将来への漠然とした不安に加え、生来他人とのコミュニケーションを苦手としていたゆえに、執拗な面接訓練は僕に精神的負荷を与え、ドライアイを患わせるまでに至っていた。それがドライアイなのかと聞かれると実は何とも言えないが、どういうわけか僕は過度のストレスを抱えると瞼の周囲の筋肉が強張るのか、目を開けることができない症状に悩まされていた。目を開ければツライが、一度でもまばたきのために目を閉じようものならば、僕の意思とは無関係にギュッと固く閉ざされたまま今度は開くことができなかった。

登下校には自転車を使用していたのだけれど、走行中にも普通に目を開けられなくなるのでめちゃくちゃ危なかった。普通に通えば15分の道を途中止まったりしながら、ひどい時には30分くらいかけて通っていた。大好きなアニメも何度も巻き戻しながら見ていた。

ここ数年そんな症状は無いけれど、14歳くらいから成人を迎えるくらいまで、青春の時代はだいぶ悩まされた。目を開けても閉じても地獄だった。

本番の面接で支障をきたしてはいけないからと、蒸気が出るタイプのアイマスクを使ったり、眼科へ通ったりもしたけれど、その当時は結局就職の内定をいただくまで症状は改善されなかった。

 

そんな地獄の就職活動を終え、ひと月ほど経ったある朝、僕の目の動きに合わせて視界を移動する黒い点の存在に気付いた。

最初は虫か何かだと思ったが、目を閉じても視界を彷徨うその黒点の存在は、何か変だな?と僕に違和感を覚えさせるのには十分だった。

当時、速読を習得しようしていたこともあり、眼球運動などをするのに精を出しており、何やら最近俊敏な動きをする蚊がいるなと感心していたのだがどうやら蚊ではなかったらしい。よくよく考えれば感心するまでも無く蚊は普通に俊敏なのだか、そんなことはどうでも良い。

 

まずするべきは何か。

 

当時、スマートフォン普及が隆盛の兆しを見せており、今ほどではないにせよTwitterやLINEといった、いわゆるSNSを利用する若者たちが増えていた。僕は今でこそ過去の遺物と化してしまった"ガラケー"を使用していたため、苛烈を極めるSNSによる覇権争いを蚊帳の外から眺めていたのだが、なんとかそのおこぼれにあやかるべく各種SNSの利用登録を済ませていた。

特にTwitterは周りの友人の間でかなりホットなコンテンツであった。学校が終わり、家でのイベントを一通りこなし就寝の準備を済ませ、診断メーカーで作られた面白い診断を仲間内で拡散しつつやり取りを交わし、そろそろ眠たくなったところで時計を見ると時刻は4時。ロクに眠れぬまま学校へ行き、授業の半分以上は眠る。そんなサイクルが連日連夜繰り広げられ、ガラケーである故に逐一リロードしなければならないという時間的なハンデは抱えていたものの、僕もそのサイクルになんとか喰らい付くことができていた。

そんな折に視界に現れた黒点。これは呟くしかないと決意を固め、「なんか視界の黒い点が動くし消えないんだけどwwwwww」といった投稿をすること5分と経たず間に友人から心配だと言わんばかりの返信が届く。

「目の関係は万が一の時悲惨だから、病院行った方が良いよ」

とは言え、別に痛いとかではないのだ。こんな直径2mm程度の点がうろつくくらい大したことは無い。万が一の時にはその運命を甘んじて受け入れるしかない。何、なるようになるさ。そもそも僕はまだ学生だしバイトだってしていない。病院を受診する為の金銭はどう工面しろと言うのだ。まさか親に出して貰えば良いと言うのではあるまいな?  そんな大した症状でもないというのに、自らを安心させるために親に金を出させるのか?  なんと無責任なことか!  そんなのは車の免許を持っていないのに任意保険に加入するようなものだ。ちがうか。ともかく!  病院など行かん!  無用な心配だ!!

「万が一の時にはりきすいくんの好きなあの子の顔が見れなくなるよ」

 

こうして僕は眼科を受診することになった。金など親に出させておけば良いのだ。

ついこのあいだまでドライアイの症状を訴えて通院していたので、慣れた態度で診察券を受付へと差し出し、待合室のテレビに映るワイドショーを眺める。

慣れたとは言ったが、僕は病院の独特の空気感が得意ではない。非常に居心地が悪いのだ。年寄り共は家にいてもやることがないからとこぞって病院に集うようになるらしいのだが、理解ができない。僕はゲートボールをする側の年寄りになることにしよう。

そうして居心地の悪い待ち時間をなるべく無心で過ごし、ようやく名前を呼ばれて診察室へと誘い込まれることになった。医師はドライアイの症状はどうかと尋ねてきたので、いやね先生今日は違うんですわよとなるべく軽口で答え症状を伝えると、とりあえず検査してみましょうと。

そんなに大したもんではないんですけどね。無理におおごとにしなくっても良いですことよ? と言う僕をよそに、着々と検査を進める医師。ようやく検査が終わった頃、医師から伝えられたのは

飛蚊症という症状です。硝子体(眼球内を満たすゼリー状の器官)が縮んでますね。縮んだ硝子体と網膜の間の空洞部分が影になって黒い点として映っていると思われます。特に重大な症状ではないです」

というものだった。ほら、やっぱり大したもんじゃないじゃん!  じゃ、終わったんならとっとと家に帰してよね。と、はやる気持ちを抑えて医師の言葉を聞き流していると、

「大したことはないんですが空洞の隙間がある分、網膜剥離とかに発展することもあります。そうなったら失明ですね

などとサラッとすごいことを言ってきた。え、失明?

「ちなみに、硝子体は縮んだら元には戻らないので、その黒い点はずっと消えないですね。とりあえずは様子を見てもらうだけで大丈夫ですけど、もし急激に増えたり大きくなったりしたらまた来てくださいね」

なんだか長々と説明してしまった気がするが、そこは説明下手なのでご容赦願いたい。

 

そうして後にサディスティックグレイト山根(通称:サディ、山根、名前負けetc…)と名付けられる黒い点、もとい飛蚊症とはかれこれ6年の付き合いをしてきたわけだが、まだまだ長いお付き合いをすることになるのだろう。

サディは決して僕と目を合わせてくれないが、いつも必ず僕の視界に映り込んでくる。あれから6年が経つが、1日たりとてサディと顔を合わせなかったことはない。可愛い奴だ。単純接触効果というのはすごい。その奥ゆかしさは、未だに僕の心臓の鼓動を早くすることがある。これって、トキメキなのかな…?

6年の間にサディは八分音符の形に姿を変え、2個に増えたりもしたが、まあ急激な変化でもないので気にしていない。あれから眼科にも行っていない。

なぜ行かないのかって?  病院は嫌いだからです。

わからないこと

子どもの頃は、親から怒られることに対して理解できず、納得のできないことが多くあったけれど、大人になると「なるほど、そういう訳があったのだな」と勝手に納得することも多い。

 

その理屈で言えば、私が友だちと一緒になって落ちていた氷を食べて涼を得た時に怒られたのも、今となっては納得できるし、今の私が我が親の立場であったならば当時の自分を破茶滅茶に叱りつけたことだろう。

飽きもせず毎日のように同じ面々が集まる公園に、いつもと同じように集まって遊んでいたある9月の土曜日。鬼ごっこをしていた私たちの元へ、開始からしばらく姿を眩ましていたマサヤくんがやって来て一言

氷落ちとる!冷やくて美味しい!

という報せを放った。

真夏に比べれば多少涼しくなったとは言え、まだ半袖半ズボンで駆けずり回っているようなこんな日に氷が落ちとる…?  よく意味がわからなかったが、直ちに件の場所へとやって来た私たちの幼いゆえに澄み切った瞳に映り込んだのは、言葉通りに氷が落ちている光景だった。

どういう理屈か全くわからなかったが、グレーチングの上に大きな氷塊と、それが砕けたような氷の欠片がいくつも散らばっていた。

マサヤくんは氷塊を持つとグレーチングへ勢いよく叩き付けて砕いた。氷の欠片を拾うと、それをヒョイと口に放り込む。どうやら先刻もその要領で砕いた氷を食べていたらしい。

いや、さすがに落ちているものを食べるのはどうかと一瞬だけ考えはしたが、マサヤくんがあんまりにも美味しそうに氷を頬張るので、気付けば私たちは狂ったように氷を食べていた。

落ちとる氷、美味いじゃん!  当時の私の本当に素直かつ率直な感想である。これをご覧になっている皆さまと同じように、私も例に漏れずハンバーガー屋のジュースに入っている氷の粒は全てバリボリ食べ尽くすタイプの子どもだったので、氷が落ちていることに対する喜びは絶大なものでした。

帰宅した私が嬉々として1日の出来事を話し、その後凄まじく怒られて地獄を見たということは、ここまで読んだ皆さまならば想像に難くないことでしょう。

 

私は何故怒られたのか?

大人になった今ならわかる。落ちているものを食べるのは危ないからだ。

万が一得体の知れない悪い菌などを摂取し、それが身体の中で悪さをしようものならば、苦しい思いをするのは他ならぬ私だからだ。

我が親は、私のことを想いそれを伝えようとしてくれたのである。

 

しかし、当時10歳の私が2時間もの間正座で説教を受け、その後も数年に渡り考え続けた末に辿り着いた答えは親に黙って外で物を食べてはいけないというものだった。

 

理由はある。

 

その日も例の公園で缶蹴りをして遊んでいた。

小学6年生の私は鈍臭い上にデブだったので、一度鬼になってしまったら最後、二度と逃げ手に復帰することは無かったのである。

その日も実に退屈な、遊びとは名ばかりのハブりを受けていた。

一応の建前で私が缶を守っていると、すぐ近くで外国人のグループがバーベキューをしていた。それはそれはオーソドックスなバーベキュー。映画の中で何度か見たことがあるくらいにオーソドックスだった。

デブだった私の食い意地は相当なもので、余程物欲しそうに眺めていたのだろう。外国人グループの1人が私に声を掛けてきた。

キミも、食ベル?

たどたどしくも優しく投げかけられた問いに対し私は7回くらい首を縦に振り、焼きたての肉や海老などを頂いた。

外で遊んでいる最中、見ず知らずの外国人からもらって食べる肉はその特別感も相まってか、かつて味わったことのない程、美味に感じた。そういえば春休みだったような気もする。特別感がオーバーフローしていた。

僕が至福の時を過ごす間に缶をめちゃめちゃ遠くまで蹴られていたけれど、外国人って優しいんだなと、幼いながらに感動したのを覚えている。

 

そうして帰宅した私が嬉々として1日の出来事を話したわけだが、私はこの後凄まじく怒られ、地獄を見ることとなった。2時間の正座もした。

私は何故怒られたのか?

あれから12年が経過して私は大人になったけれど、未だにわからない。